かなり前の話になりますが。あと気分のいい話ではありません。僕としても反省点ばかりでしたし、その人が無事に目的地につけたのかもわかりません。
ちょうど自分のメンタルクリニックへの通院の帰り道。とある駅でおそらく知的障がいのある人から多分目的地への行き方を教えて欲しいという事を言われました。
おそらく、とか多分、とか入っているのは発音や言語が聞き取れなかったから。コミュニケーションが成り立たなかったから。
相手がコミュニケーションが成り立つ人であれば5分もあれば説明することができたのだろうけれど、その人はまず、軽くテンパっている様子で、目的地らしい切符を見せられておそらくどう行くのどう行くのと繰り返すだけ。
こちらもその切符を見せられて、なんとなく何が起きたのかの予想はつきました。その時にいたとある駅は各路線が入る大きな駅の隣の駅で、多分その人はその駅で降りなければならなかったのがなんらかの理由で降りれなかったのだと思いました。
で、隣の駅で降りてしまった。
どうすればいいかわからなくなってたまたま近くにいた僕に聞いてきたのだと思います。もしくは他の人に聞いても相手にされず、足を止めたのが僕だったのか。
仕事上、知的障がいの人と関わる事は多いですが、発語が独特な方、癖のある方とのコミュニケーションは聞き取りが慣れるまで時間がかかります。
僕もどう行くのという言葉を聞き取れるようになるのに2〜3分かかったように思います。
どう行くのというのが聞き取れるようになってから、とりあえず反対の方向の電車に乗って一つ駅を戻ってそこで乗り換えてくださいと説明をしましたが全く通じることがなく、どう行くのと今度は連れて行ってという言葉が入っていることに気がつきました。
正直メンタルクリニックを受診後の疲れた状態で僕からすると反対方向になるので行くのは面倒だなと思ってしまいました。
そこで駅員さんに対応をお願いしてみようと思い改札までその人を連れて行きました。
対応した駅員さんは若い駅員さんで切符を見た瞬間に僕が説明したことと同じ事を言って、もう用はないと言わんばかりに駅事務所の中に入って行きました。
ただ、これを非難する事は僕にはできません。引っ込んでしまった駅員さんからまた僕の方に来てどう行くのと同じ事を聞かれたので、その反対のホームに連れて行きどれでもいいから電車に乗って一駅で降りて乗り換えてくださいと言って連れて行き置いてきたのです。
正直、その場でその人が理解できたとは思えませんでしたし、またそのホームで同じように誰かに聞いて回るんだろうなと思いながら僕は足早に自分の目的のホームへ行きちょうど来た電車に乗り込みました。
その後、自分の用事を済まし、少し休憩してからその人のことを思い出し、またあることを思い出しなぜそれをしなかったのかと悔いました。
悔いたと言ってもここから先は憶測でしかありませんからわかりませんが、通常、知的障がいのある人が外出する時、ガイドヘルパーというその人を目的地まで連れて行き、目的を果たして帰ってくるというサービスがあります。それを利用していたかもしれないということです。もしくは家族などと一緒だったかもしれません。つまり、はぐれたと。
そうであったのならば、連絡先を聞く事はできなかったのだろうか、そして合流させる事はできなかっただろうか。
もしくは、一人であったのならば、家の電話番号など連絡先などを教えてもらい電話を掛けて事情を説明し本人とのコミュニケーションに慣れた人に説明してもらう事はできなかったであろうか。
それならば電話で済むことだったろうに。
そんなことを考えてしまいました。
もう一年近く経っている出来事ではありますが、今でも覚えているという事は、自分の行動に後悔があったからだと思います。
自意識過剰かもしれませんが、その人にとって僕は障害者福祉従事者という数少ないチャンスであった可能性が大きいと思われるからです。
そう言ったことにその場で気づけるようになることが、仕事の上でもより良い支援者へとなるために必要となるのではないかと感じるのです。
もう、その人が無事に目的地に付いているであろうと思うことしかできませんが、そういうことがあり、こういう風に思いました。
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